個人の感想です、否定、批判か何か分かりません。ネタバレかもしれないので沢山改行します。(演劇ユニット)の部分今日初めて知りました。
12月22日19時の回見ました。
おじさん達が面白くない(寺十吾さんは演出も芝居もシンプルファンなので違います)〇〇風の喋り方、喋りのトーンで乗り切っている方が多い。
実感としてその場ではじめてその言葉、姿勢を思いついて相手と話す、話そうとする気が薄い。
一カ月か、一週間間前か分かりませんが、今日じゃない前に考えたこと、面白いと思われる声を発表することを、前に思いついた感をなんとかどうか薄めて話してください、非常に冷めてしまいます。
見た目がどう見てもおじさんなのに、おじさんを演じておじさんになろうとしている。
沢山あげましたが、でもおじさんってそうだから妙なリアリティと思えばそうです。
気を使われるのが当たり前だと思ってて、プライド高くて面倒くさいから、その方にキレられるのが面倒で気をつかうふりをする。
少し反対意見を言うとキレる。
セクハラ、モラハラ、パワハラをやっちゃったよ〜〜と怒られちゃったよ〜〜と笑い話にする。
(一説にはセクシャルハラスメント、モラルハラスメント、パワーハラスメント等を略したことで耳触りが良くなってしまい、本質からずれた使い方をするようになってしまった。みたいな記事Xで見ました)
成長しない。もう長年それで生きてこれた結果があるので改善されない。
みたいなシーンがあったように思います。
たぶん私は改めてそう感じました。
↑がもし脚本、演出と俳優が感じさせてくれて、私が手の平で踊っているだけだったら心から嬉しいです。
しかしフィクション性に振るか、現実と地続きのように見えるように振るのかがどっちつかずだった様に思います。
日々を繰り返すことが日常であり、経験であり、蓄積であり、それを変えようと自分なりの正義を振りかざそうともがく人達がとても美しくて輝いて見えました。
空気を切り裂いていて気持ちよかったです。
堤千穂さん寺十吾さん生徒4人。
あとは日常を繰り返す人々、役だったのであまり心が揺れなかったです。私には刺さらなかっただけです申し訳ないです。私のドーパミンです。
怒っているふり、問題提起するふり、探すふり。そういうお話だったのだろうか。
現実でどうやって目の前の人と会話出来ているか、意思疎通を成しているかを確認する方法なんてとても曖昧なので、会話しているようで噛み合ってないくらいが人間かもですね。ん?
私に刺さる人が少なかっただけだと思われます。脚本演出面白かったです。
おじさんが苦手なだけです。ん?
1時間30分くらいから寺十吾さん早く出てきてください、この空気を切り裂いてくれとクリリンの様に願っていました。
この例えももうおじさんですね。
あと、本当にそれはしょうがなくてそういうお話だったのですが、演劇で目の前の人の呼吸、様子を見たいのに出てこない人の話しているのが苦手でした。
1分でも30秒でもいいからそいつが出てきてほしかった。
映像なら出てこなくても全然いいです。
前回公演「デラシネ」が猿のように手が痛くなるまで拍手するくらい素晴らしく面白かったので、無意識に同じ味を求めてしまったところはあります。
猛省です。
2016年の「悪魔を汚せ」からファンです。
生真面目になり過ぎるなよ。
死守せよ、そして軽やかに手放せ。
「殻を破る 演劇的探求の40年」
漫画鈴木先生10巻表紙裏に載ってました。
なんか思い出しました。
長文駄文失礼致しました。