飲み会に行って思い返しました。
僕は酔って来ると話のテンポが早まり、長尺で相手を少し制するように話してしまう。
ちゃんと相手のリアクション、相槌のトーン、回数、スマホを見ようとしてないか、この人はどのくらい酔っているのか、この話僕の考えで相手は楽しめるだろうか、とかとか考えがつつ早めのトーンで話し続ける。
焼き鳥で気づいたら相手の相槌が上手でNetflixのドキュメンタリー3〜4つ勧めていた時は帰りの電車で後悔した。どうせ見ないのに。
少し話ずれますが、本屋で友人におすすめの本を聞かれて僕はお金とか社会学系の本を勧めましたが、友人は何も関係なくボルダリングの本を買っていた。
そりゃそうでその時興味のあった物をお金出して買いたいので、僕も勧めてもボルダリングの本買わない。フリーペーパー?でもいらない。
だからおすすめ勧める時は相手の思考、時間を変えなきゃ行けないのでほぼ無理。虚無の時間。
その昔僕は自分が話すより相手の話を聞く方が好きと伝えるとはぁ?嘘でしょ?と疑われた。
2か月ぶりに会ったら、あれ?2週間前も会わなかったっけ?とか。
たぶん話し過ぎでずっと質問してずっと顔、目の色を見ていた。相手が退屈しないように出来たら嬉しいなというか。
その時お互いお酒飲んでいません。
たくさん話してもその人のことはわかりませんでした。
自分が話すこと、お互いに話すことに価値を感じていて自分は喋っていない駄目だと思っていた。
25歳くらいまで無言でも楽しい関係があることが本当に本当にわからなかった。
というか未だにそういう相手は僕にいなかった気がします。
どれだけ話しても一緒にいても、〇〇そうしかわからない。楽しそう、眠そう、辛そう、帰りたそう、キレそう。
本当のその人の欲求はわからない。
だから相手の言葉を信じます。
相手に楽しかったと言われたら感謝します。
ほんとか?と思うときりがないので。
ストレスはほぼ全て人間関係だそうです。
完全な自由は宇宙にひとりぼっち。
孤独を感じる時にも人を使う。
奢りたい人奢られない人
持ち家か賃貸か
友人の断捨離
コスパ、タイパ
知らんて、適当にやりなよ。なんか眠くなってきた。
相手のことはわからない、相手もこちらのことはわからない、それでいいだろ。
自分自身と似た思考の人間と喋っても面白くないだろ。
お互いに喋れるうちに、生きてるうちに、目の前で会えるうちになんかやりましょうよ。
文面だから僕より私の方がいいか、俺呼びはきもいし、どうでもいいか。